クワインの考え方を使うと、昔の方が幽霊を信じていた人が多かったことに説明がつくのです。
科学理論が未発達だった時代では、幽霊のような超自然的なものが存在すると考えないと説明できないことがたくさんあったのでしょう。だから、さまざまな現象を説明する理論の中で、幽霊は必須の役割を果たしていたのだと思います。だけど、幽霊を持ち出さなくても、科学的な理論だけで説明がついてしまうケースが増えていくにつれて、幽霊は居場所を失っていったのだと思います。
妖怪研究家でもある作家の京極夏彦さんは、妖怪とは元々「現象を説明する言葉」だったと書いています。家鳴りという妖怪がいる。長雨の後などに突然家がミシッと鳴ったり、パキッと鳴ったりする。昔の人たちは、それを家鳴りという妖怪の仕業だと考えていた。でも、現代の見方では、家に使われている木材が乾燥する時にたてる音ということで説明がついてしまうのです。
ここで注意しなくてはいけないのは、家鳴りというのはあくまでも現象だということです。昔の人の頭の中には『ゲゲゲの鬼太郎』に出てくるような妖怪の姿が浮かんでいた訳ではないということです。現象に、家鳴りという言葉を当てたのです。つまり名付けたのですね。
幽霊を信じていない人がいます。つまり、その人が信じているこの世界を成り立たせている理論の中で、幽霊は必須の役割を果たしていないということです。
だけど、何かを見てしまう。感じてしまう。それは本当は風にたなびいている破れた布切れかもしれないですけど、恐怖に怯えてしまったその人には、もう捨ててしまった言葉が蘇ってくるかもしれない。幽霊だ。そう名付けてしまった瞬間に幽霊は存在してしまう。そういうことなのです。