ある理論の中で特定の種類のものが必須の役割を果たしているとき、クワインは、その理論はそうした種類のものに「存在論的にコミットする」と言います。言い方を変えれば、ある理論の中には存在を認めなければならないものがあるということです。
何かが存在するということは、観察できるかどうかには関係がない。何かが存在するかどうかという問題は、私たちが正しいと考える理論全体の中で、その存在が必須の役割を果たしているかどうか。
クワインはそう考えた訳です。哲学的な言い回しですけど、確かにそうなのです。
「心」が存在することは、精神医学の中で必須の役割を果たしているのですから、それは存在する。少なくとも私はそう信じていると言える訳です。
では、同じことを幽霊について当てはめてみると、こうなりますね。
幽霊の存在が、私たちが信じている理論の中で、必須の役割を果たしているのかどうか?
現代人が正しいと認めている理論(特に科学的な理論)の中で幽霊が必須の役割を果たしているかどうかと問われたら、それはNOということになる。
それでは幽霊は存在しない。きっとクワインならそう言うでしょうね。