親の愛というのは、あるいは愛というものは、無根拠なものです。◯◯だからという理由があって愛するのであれば、それはおそらく愛ではないでしょう。
まぁでも、そういう愛というのは、ちょっと狂気に近いような気もしますけどね。
夏目漱石の『坊ちゃん』に出てくる坊ちゃんの乳母の女性は、自分が死んだら坊ちゃんと同じ墓に入りたいと手紙に書いてきます。彼女は坊ちゃんを愛しているのですけど、それは自分に優しくしてくれたからとか、坊ちゃんがイケメンだからとか、そういう理由はないのですね。彼女が奉公に出た家の長男が坊ちゃんで、坊ちゃんの乳母になった。だから坊ちゃんを愛しているのです。それは愛すべき運命にあるという意味と同義でしょう。
だって愛することに決まっているから。それ以上の理由がない愛を親から与えられたかどうか。もし与えられた経験を持つとしたら、それはもう人生を生きていく上でかなりのアドバンテージをもらったと同じことだと思います。
そうそう、『呪術廻戦』というアニメ映画に「愛ほど歪んだ呪いはないよ」というセリフがあるそうで(こういう類の話というのは、うちの整体師のシンゴから聞くことがほとんどです。)これは真実なのかもしれないですね。上手いことを言うな…。
耐えがたい寂しさの原因が、親から無条件で承認されなかったことだとしたら、もうどうしようもできないではないか。そう思われるでしょうけど、そんなことはないのです。
多くのパーソナリティー障害(境界性パーソナリティー障害に顕著ですけど。)の原因は親からの承認と、子供時代に安全で安心できる場所を与えてもらえなかったことなのですけど、カウンセリングや認知行動療法で改善していくことができます。
但し、かなりの時間を要することになりますけどね。
だけど、仮に時間がかかったとしても、生きづらさや寂しさを感じ続け、何かに依存して身体や精神を損なうよりはマシですから、よろしければカウンセリングを受けてくださいね。