『セノイ族と夢』

文化人類学者であり、心理学者でもあるキルトン・スチュワートの報告で知られることなった民族がいます。

マレーシアのジャングルで暮らしているセノイ族なのですけど、彼らは夢を大切にする人たちなのですね。

目覚めている時よりも、無意識に対する検閲(フロイト的な言い方では超自我の検閲ですね)が減ることになる。だから、夢を分析することで、クライアントの問題解決の方法や、症状の意味を知ることができる。その考え方から精神分析は夢を研究の対象としてきたのですけど、朝食を食べている家族の団欒の中で、まるでカウンセリングのようなことを伝統的にしている民族がいるのですから、世界は広いなぁと思ったのです。

河合隼雄さんの著書『明恵 夢を生きる』には、その様子がこう綴られています。

「朝食の時間に、年長者は幼少の者たちの語る昨夜の夢について耳を傾けて聴いてやる。そしてたとえば、小さい子が、どんどん落下してゆく夢を見て怖くて眼が覚めてしまったなどと語ると、父親は「それは素晴らしい夢を見たものだ。ところでおまえはどこに向かって落ちていった?途中でどんな景色を見た?」と聞く。子供が怖くて何も見ないうちに眼が覚めてしまったと言うと、それは残念なことなので、次に機会があれば、もっとリラックスしてよく見てくるようにと励ますのである。

そんなことをしても何にもならないと思われるだろうが、実際に、その子は次に落下の夢を見たときは、睡眠中でも前に言われた父親の言葉がどこかに残っていて、落下を恐れず、それより充分「体験」できるようになるのである。そして、その内容を報告すると、年長者はそれを詳しく聴いてくれ、次の体験へとつなぐような助言を与えてくれる。まさにセノイ族の人たちは「夢を生きる」ことを文字どおり行っている。

夢にたいするこのような態度は、自分の夢を傍観者として「見る」のではなく、それを主体的に「体験」し、深化して自らのものとするもの、ということができる。このような「体験」の蓄積によって、セノイ族の人々は精神の健康を保つことを可能にしたのである。」

興味があったので、セノイ族についてもっと書かれたものはないかと調べていたら『夢を操る マレー・セノイ族に会いに行く』という本を見つけました。大泉実成さんというフリーライターの方が、現地に行ってセノイ族を取材してくるドキュメンタリーなのですけど、なかなかに興味深い内容だったのですね。

河合隼雄さんの文章にも出てきますけど、大泉さんが自分の夢をセノイの方たちに語ると、大概「それは素晴らしい夢を見たものだ」と言ってもらえるのです。セノイ族にもシャーマンのような方がいて、夢によっては危険を示すような解釈をされることもあるようですけどね。基本的には悪夢だと本人が思っているような夢でも、セノイ族としては「素晴らしい夢」であることが多いのです。

夢の中に出てくるものは、すべて自分自身なのだから、怖がるとか、逃げるとかしても意味がない。たとえ精霊のような自分の外からやってきたような存在であったとしても、怖がらずに仲良くするための努力をすることが薦められる。なんだか本当にカウンセリングのようです。

ユング派の夢分析では、分析を始めた頃に見る夢のことを「イニシャル・ドリーム(初回夢)」と呼びますけど、そこに大きな意味があることが多いのです。無意識を表す「水」に関する夢を見やすいとも言われています。普段夢を見ない方でも、分析を始めると毎晩のように夢を見るようになるのですけど、きっと無意識が開かれてきているのでしょうね。

河合隼雄さんの本と、大泉実成さんの著書を読んでいて、私も毎晩のように夢を見ましたからね。そして、夢の中で自分から積極的に行動するようにするとか、主体的に体験するようにするという本の内容を、きっと夢の中で実践しようとしたのでしょう。夢の中でこれは夢だと分かっていて、そして現実のようにどう行動しようか考えている。そういう夢をたくさん見たのです。

この文章を読んで、もしかしたら、あなたも今夜夢を見るかもしれない。もし夢を見たら、セノイ族の父親の助言に従って…リラックスして観察するようにしてみてくださいね。