『夢とネズミ』

内田樹さんのエッセイに、村上春樹は夢を見ないと書かれていたのを読んで、そういえば『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』の中にそういうやりとりがあったことを思い出しました。ちょっと気になって、久しぶりに文庫本をめくってみたんですけど、河合隼雄さんはその理由についてこう語っています。

それは小説を書いておられるからですよ。谷川俊太郎さんも言っておられました、ほとんど見ないって。そりゃあたりまえだ、あなた詩を書いているもんって、ぼくは言ったんです。…とくに『ねじまき鳥クロニクル』のような物語を書かれているときは、もう現実生活と物語を書くことが完全にパラレルにあるのでしょうからね。だから、見る必要がないのだと思います。書いておられるうえにもう無理に夢なんか見たりしていたら大変ですよ。

ああ、なんだか分かるなぁと、つくづく思ったのですね。

近代小説というのは、人の内面を描くためのテクニックを洗練させてきたと思うのですけど、物語は文字通り「もの」を語る訳です。何も起こらなくても描写で読ませていくことができるのが「小説」。何かが起こって、何かが動いていく、変化していく様子(つまりストーリーですね)を描くのが「物語」だとしたら、村上春樹作品というのは「物語」的な「小説」と言えると思います。

そして河合隼雄さんが昔話についての本をたくさん書いているように、昔話という「物語」は、人間の無意識にある何かを表象しているのです。たとえ現実にはありえないような登場人物であるとか、出来事であったとしても、それは無意識の奥からやってくる何かを表している。だからこそ、心理学の研究対象になるのですけど…そうであれば村上春樹さんの「物語」的な「小説」は、彼の無意識を反映していることになります。

つまり、彼の作品というのは、夢と同じ素材で作られているということになると思うのですね。平たくいえば、私たちが読んでいるのは彼の夢なのかもしれない。多かれ少なかれ、創作するということは、そういうことなのでしょうけどね。

そういえば、村上春樹さんのインタビュー集のタイトルは『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』というものでした。

『ねじまき鳥クロニクル』には、バットを持って井戸に降りていくというところがあるのですけど、無意識に降りていくというメタファーでもあるでしょう。井戸のようなところに降りていくというモチーフは、彼の作品にはよく登場してきます。あるいは『ノルウェイの森』のように、どこにあるのか分からない草原の穴に落ち込むことが、死を意味することであるとかね。

フロイトは、夢に見る対象は、何かが抑圧されて、無意識内で変容させられたものであると考えました。だから、例えば自分の義兄(彼は自分の姉と結婚している)に夢の中で「あなた」と呼びかける夢を見たという婦人に対して、フロイトはこう言います。あなたは彼のことを愛している。できれば彼と結婚したいと思っている。だけど、そんなことを思っていることを自分自身にさえ気づかれてはいけない。だから、その気持ちは無意識に抑圧されてしまった。そして、夢の中で、まるで配偶者を呼ぶように義兄を呼んでいるという形になって、抑圧されたものが回帰してきたのだ。

河合隼雄さんとの対談を改めて読んでいて、そんなことを考えていたのですけど、今更ながら気づいたことがありました。

デビュー作『風の歌を聴け』からの三部作には、主人公の親友として「鼠」という人物が出てくるのですけど、フロイトが1909年に『強迫神経症の一例に関する考察』と題して発表された論文の神経症者は「ねずみ男」と呼ばれているのです。

こういうのをユング派ではシンクロニシティ(意味のある偶然)と呼ぶのですけど、数日して、また「ねずみ男」が出てきたのです。たまたま薦められて読んだ、夢をコントロールするマレーシアの先住民族セノイについてのドキュメンタリーのあとがきを読んで笑ってしまいました。

本のタイトルは『夢を操る マレー・セノイ族に会いに行く』というのですけど、著者は大泉実成さんというフリーライターの方です。

彼のあとがきには、彼の本を読んでセノイ族に興味を持った水木しげる先生と、マレーシアに行くことになったと書いてありました。

笑ってしまったのは『ゲゲゲの鬼太郎』の「ねずみ男」を思い出したからなのですけど…そもそもネズミというのは昔話の中では、トリックスター的な役割を与えられることが多いものです。これは河合隼雄さんの受け売りですけどね。あの世とこの世とか、地上の世界と地下の世界とか、普通は越えられない世界を往還することができたりもする。それはきっと、小さい身体というイメージからだと思うのですけど…フロイトにしても、村上春樹さんや水木しげるさんにしても、どこか夢とつながっている、つまり無意識とつながっている想像力を持っている方たちなのだと思います。だから、彼らの作品にはネズミが登場してくるのでしょう。