よく書いていますけど…どうもマンガを読むのが苦手なのですね。ところがマンガを読むことが大好きな友人が私にはたくさんいて、これは読んだ方がいいよと貸してくれたりする訳です。『鬼滅の刃』を全巻読み終えた時に、もうしばらくマンガは勘弁して。脳がおかしな疲れ方をするから。そう宣言したにも関わらず、まぁまぁまぁとマンガがやってくるのです。
でもね、マンガの読み方について、ある種の気づきがあったのです。アルキメデスではないですけど「eureka」と叫びたい気分でした。
それは、絵本を読むように読めるマンガは好きということなのです。つまり、吹き出しの中の文字数が多くなくて、地の部分にト書きとして文章が書かれているものは読みやすいということです。そういうことならとマンガ好きの友人が見せてくれたのは『SLAM DUNK』というバスケットを題材にしたマンガなのですけど、試合のシーンでセリフがない。擬音もわずか2つくらいしかない。おそらく試合のラスト数秒の間をマンガとして描いていると思うのですけど、まるでサイレント映画のようなのです。これは凄いと思いましたね。
こういうマンガであれば、ずっと読んでいられると思います。
とはいえ、こういうマンガは滅多にありませんから、読みやすいマンガと言ったらエッセイのようなマンガというジャンルになるのかもしれない。
ジム・ジャームッシュの映画に『コーヒー&シガレッツ』というのがあるのですけど、カフェのような場所でコーヒーを飲みながらタバコを喫う。そうしながら、とりとめもない話を俳優がしているだけというオムニバスです。トム・ウェイツとイギー・ポップの掛け合いが面白いのですけど、やまだないとさんのエッセイ・マンガにも似たタイトル(こちらは『コーヒーアンドシガレット』)があります。
ピカソが愛用していたようなボーダーのカットソーを着た女性が、ちょっと古ぼけたソファーに座ってタバコを喫っているところがカバーなのですけど、30代前後の女性の「ひとりごと」でマンガは進んでいくのです。
やまだないさんという作家は、一度手描きで描いた原稿をパソコンに取り込んで、描線を滲ませるとか、自身の世界観にふさわしい描き方を追求されている方だそうです。彼女の描く、ちょっとつまらなさそうな女の子や、外国の町(パリだと思います)の風景がイラストとして、とても好きでした。
私はタバコを喫いませんけど、タバコを喫いながら味わい深い(つまり、古いということですけど)カフェに集まる人たちを観察している様子とか、なんだか分かるなぁという気持ちになるところがたくさんあって、これはすらすら読めてしまいました。
マンガの主人公の彼女は独身で、それなりに大人です。自分の好きなことを知っていて、その好きな分野について深く知っている。だから一人で過ごす時間を愛することができるのでしょうけど、このマンガが発売されたのは2005年ですから、まだSNSが登場してくる前の世界なのですね。ですから、インスタ映えする写真をカフェで撮ることもなく、コートばかり買ってしまうのにまたボーダーのコートを欲しくなっても、ネットでコーデをチェックすることもない。おばあちゃんになっても着れるというイメージ(妄想の中で白髪になった自分がコートを着ているところが描かれます)で自分に買う許可を求める。
他のやまだないとさんのマンガを探していたら、この本について「「既に失われて二度と取り戻せない在りし日」のポートレートを眺めるような奇妙な感慨があった。自分自身かそれだけの年月を加齢した、という事もあるが、架空の郷愁、とでも言いたいような不思議な読書体験であった。」と書かれているブック・レビューを見つけたのですけど、スマホ以前の世界、スマホ以降の世界というのは、本当に違うのだと私も感じましたね。
前もってお客の予定があるときは3日くらい前に花を活けて、ちょっとくったり花もひらいたところでお出迎えする。直前だと花がよそ行きの顔をするから…なんて言葉にも、分かるなぁと思いましたけど、これはまぁ職業柄なのでしょうけど、異性という他者を求める女性の気持ちとして、共感できる「ひとりごと」がありました。
「今はまだひとりで 何ももってないからこそ こみあげる予感が楽しくて。」とか「「恋人でも夫でもないのかもしれない。でも…たったひとりわたし以外にわたしのことを見ていてくれる人…私が好きなもの、私が見たもの、選んだこと、わたしのことを誰かに証明してくれる人がいて欲しいなって…。」とかね。
ほんの20年昔は、もっと人は大人だったのかもしれない。そう思いましたね。