『駅馬車問題』

スティーブン・スピルバーグの『フェイブルマンズ』は、映画監督になりたい少年の成長物語なのですけど、つまりスピルバーグ本人の自伝でもある訳です。

両親が離婚したことを、両親が二人とも亡くなったから、やっと映画にできるとスピルバーグはインタビューで答えているのですけど、映画のラストで、父親と暮らしている少年を励ますことになることになるのが、ジョン・フォード監督なのです。

まぁ、励ます気なんてゼロ、俺は言いたいことだけ言うぜという感じなのですけどね。

演じているのは、デヴィッド・リンチ。『ツイン・ピークス』とか『マルホランド・ドライブ』とか、かなり特殊な世界観の映画をたくさん撮っている映画監督です。

デヴィッド・リンチが出ているのは10分にも満たないと思うのですけど、今まで見てきた映画の記憶が全部すっ飛ぶような、強烈な印象を残してくれます。

デヴィッド・リンチが演じた役柄である、ジョン・フォードは、もうなかなかご存知の方も少ないでしょうけど、アカデミー監督賞を4回も受賞している名監督なのですね。

ジョン・ウェインと組んで映画を撮ることが多いのですけど、私も『静かなる男』が大好きです。

アイルランド移民だったジョン・フォード監督の故郷が舞台なのですけど、ジョン・ウェイン(193センチ)と恋に落ちるモーリン・オハラ(173センチ)。二人の恋を認めようとしないモーリン・オハラの暴れ者の兄役のヴィクター・マクラグレン(191センチ)の3人が本当に大きいのです。男同士がケンカをして、最後はお互いを認めるという、よくあるシーンがあるのですけど、家具やら何やらを破壊しまくって、巨人が暴れているようですから。

それはともかく『駅馬車問題』です。

ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演の映画『駅馬車』の名シーンなのですけど、駅馬車を襲撃するアパッチ族と、駅馬車を守るジョン・ウェイン(馬に乗っています)が戦います。

アパッチ族は駅馬車を止めたいのですから、そもそも馬を弓で射ればいい。馬が倒れてしまえば、それで馬車は止まりますから。だけど、アパッチ族はそんなことはしない。ジョン・ウェインだって馬に乗っているのですけど、その馬も狙わないのです。

そのことを、それっておかしいよねと言うのは野暮というもの。映画の中には、映画の中の現実があって、映画のストーリーを進めていく上で必要なウソだってありますからね。馬を狙えばいいのになんて考える暇さえないほど、キレキレの演出をすることが条件でしょうけど。

これって、映画の中の話だけでもないのです。自分の中にある現実では、真実とされていることがある。ところが、自分の外側の現実では、その真実は受け入れてもらえない。そういう葛藤の中で、誰でも生きているのですね。

自分の内側では、自分はなかなか凄いと思っていても、自分の外側の家族からは、30歳も過ぎているのに定職にも就かないで、全くだらしないと思われている。

これを「認知的不協和」というのですけど、2つの世界の現実(この話では、凄い自分と、ダメな自分という2つの現実)を調整する必要が起こります。

例えば「俺、まだ本気出してないだけ」と言うとかですね。

自分の内側の現実と、自分の外側の現実…2つの現実を人間は同時に生きている。

その2つの現実を調整できなくなったら、メンタルに問題が起こります。

映画の中の現実に、観客を引き込んでしまうジョン・フォード。そうできたらいいのでしょうけどね。