『環境を整える』

「言葉」という言葉がありますけど、語源は諸説あるそうです。

その中で、私が一番好きな説を紹介しますね。

昔の日本人は、世界を2つに分けていました。「こと」の世界と「もの」の世界です。「こと」というのは、そこに起こっていること全部。例えばカウンセリングをしているとします。私がいて、クライアントがいる。テーブルの上に置かれた花、静かに聞こえてくる音楽、クライアントが足を組みかえるときの衣ずれの音、白衣の生地の手触り、ソファーの座面の座り心地…いくらでも無限に書き続けることができますよね。そこで話したこと、それを話した時、クライアントの右の眉が微かに上がったこと。「こと」を表現し尽くすことはできません。

「もの」の世界というのは「物」の世界です。触れることのできる物、ボールペンであるとか、ノートであるとか、そういう「物」のことですね。

「こと」の世界は言い尽くすことなんてできない。だからこそ、あふれている情報が多すぎて、人を不安にします。その「こと」の世界のすべてを表すことはできないけれど「端っこ」くらいなら、なんとかできる。「こと」の世界の「端(は)」だから「ことのは」。それがいつしか「言葉」になった。そういう説です。

柳田國男さんが「ぬりかべ」という妖怪のことを書いています。

福岡県の海岸地方の伝承によると、夜道を歩いていると、目の前が突如として目に見えない壁となり、前へ進めなくなってしまう。壁の横をすり抜けようとしても、左右にどこまでも壁が続いており、よけて進むこともできない。蹴飛ばしたり、上の方を払ったりしてもどうにもならないが、棒で下の方をはらえば壁は消えるという。

その、進めなくなるという怪異を水木しげるさんは「ぬりかべ」という妖怪として表現した。四角い壁に手足がついている「ぬりかべ」を見たことがあると思います。

前へ進めないという状況が「こと」とすれば、それを「ぬりかべ」と呼ぶことも「ぬりかべ」のキャラクターを作り出すことも、いわば「こと」を「もの」にするということですね。

カウンセリングをスタートする前に、それはもちろん完璧ということはないのですけど、できる限り「こと」を整えるようにすること。それも私の仕事の一つです。

言ってみたら、クライアントが話しやすい環境を整えるということなのですけど、例えばうちのサロンには、暖炉を模した暖房器具を置いています。

自己開示性というと、自分のことを正直に話すという意味ですけど、自然の中に身を置くことで自己開示性が高くなることが分かっているのです。焚き火の炎を見つめる。海岸で、波が打ち寄せるのを眺める。そういう環境にいると、人は自分の内面を語りやすくなるということです。

もちろん、本当の焚き火はサロンではできませんからね。再現された、ゆらゆらと揺れる炎だって、オリジナルには及ばないにしても、自己開示性を高める効果がある。だから、その暖房器具を使っているのです。

もちろん、今は夏ですから、暖房器具としては使っていませんけどね。

サロンの内装の色にも、ソファーの座り心地にも、それは書き出すと終わらないくらいのこだわりがあります。

サロンに足を踏み入れた時から、すでにカウンセリングは始まっている。そう思って環境をできる限り整えるのが、私たちの大事な仕事の一つなのです。

                          撮影カメラマン  松原充久