今年のカンヌ映画祭なのですけど、ビクトル・エリセの新作が公開されるというニュースを見て、本当に踊ろうかと思ったくらい感激しちゃいました。
私と同じような映画ファンが、きっと世界中にいるはずです。
ビクトル・エリセは、スペインの映画監督なのですけど、50年を超えるキャリアの中で撮った長編映画は、たった3本です。
『ミツバチのささやき』
『エル・スール』
『マルメロの陽光』
どの映画も大好きなのですけど、画家のドキュメンタリー『マルメロの陽光』以外の2作は、なんだか陰鬱だけれど美しい冬のスペインが舞台です。
ビクトル・エリセは、冬の北部スペイン、それも午後4時の光線が最も美しい。人物や家具をふんわりと包み込むように浮かび上がらせてくれるから、その時間にしか撮影をしたくない…という人。
そんなことを言っているから、50年で3本しか撮れないんでしょと言いたくもなりますけど、そのエリセの新作がいよいよ公開されるのです。小躍りしたい気持ちを分かってもらえると思います。
何度も繰り返し見ているエリセの作品ですけど、冬の午後4時の光線の中で浮かび上がる風景というのは、どこか現実味がないのです。あまりにも美しいと、現実っぽさがなくなってしまうのかもしれません。
『ミツバチのささやき』の主人公を演じているのはアナ・トレント。当時5歳。ジム・ジャームッシュ監督が、この映画を見て「俺は将来この子と結婚する」と言ったというエピソードがあるくらいで、本当に純真無垢の女の子です。
その子が『フランケンシュタイン』の映画を見て、殺されてしまうフランケンシュタインがかわいそうだと思っていたところに、反フランコ政権の逃亡兵が逃げてくる。アナは、その兵士を匿うのです。
タイトルになっている『ミツバチのささやき』はアナが『フランケンシュタイン』を見た後、真夜中のベッドでお姉さんとこそこそ話をするシーンからきていると思うのですけど、原題は『El espíritu de la colmena』。直訳すると『蜂の巣の精霊』なのです。
このタイトルは『青い鳥』のメーテルリンクの著作からの引用だそうです。
エリセは言っています。蜂たちが従っているかのように見える、強力で不可思議かつ奇妙な力、そして人間には決して理解できない力を、メーテルリンクは「蜂の巣の精霊」という言葉で表現している。
その言葉は、独裁政権にただ従うスペインの人たちの隠喩になっているのですけど、同時にそれって無意識のことだよねと、精神科医としては思うわけです。
イマジナリーフレンド(現実には存在しない、想像上の友達)を子供は持つことが多いのですけど、現実と心の中の世界が、まだはっきりと分化していない時期の子供が主人公ですからね、この映画の現実感が薄いのは、きっとそういう子供から見た世界だからだと思います。
そして、その世界は時には残酷だけれども、美しい。
『ミツバチのささやき』を見るたびに、いつも懐かしい気持ちになるのは、きっと自分の心の中に残っている、あの頃の世界を思い出させてくれるからでしょう。