『赦すということ』

『賢者はすぐに赦す。時の価値を知っているから、無駄な苦しみで時が流れていくのに耐えられないから』サミュエル・ジョンソン

『弱い者ほど相手を赦すことができない。赦すということは強さの証』マハトマ・ガンジー

人を絶対に「許せない」というのは、相手に完全を求めているからではないかと思うのです。だけど、人は完全でないために、過ちを犯しやすいものです。

人を許すためには、相手の心をわかってあげようとする、余裕と思いやりが必要ですね。

「赦せない」という感情は、相手ばかりか、自らも傷つけてしまう最悪なもの。

怒りや憎しみによる復讐は自らを苦しめ、相手より自分を深く傷つけてしまいます。

怒りとは、真っ赤に焼けた鉄杭を素手で握りしめ、相手を打ちのめすようなもの。

怒りは、怒りによって解決することはありません。

慈悲と智慧によって解決するのです。

ブッダが「怨みは怨みによって鎮まらない。怨みを忘れてはじめて怨みは鎮まる。」と言ったとき、きっとそう考えていたと思うのです。

心理学的に考えてみると…そもそも、人を赦すというのは自我の塊のように感じます。

赦すという、意識そのものが、なんだか上から目線な気がするのです。

赦すなんて行為は、そもそもあってはいけないのです。

それでも赦さなければいけないような状況に陥ったら…ダライ・ラマは言っています。

赦しの気持ちを身につければ、その記憶にまつわる負の感情だけを心から手放すことができるのです。赦しとは、相手を無罪放免にする手段ではなく、自分を自由にする手段です。