ダグラス・ラシュコフは、警備隊長の娘の誕生日にプレゼントを贈ることくらいじゃないかなと答えるのですけど、5人の富裕層は本気なのですね。
彼らが怖れているのは、暴徒が自分たちのシェルターを襲ってくることよりも、むしろシェルターの入り口に、飢えた赤ん坊を抱えた女性が立つこと。
これはもう、倫理的な問題ということになりますからね。
自分たちの財産を奪いに来る者に対する対処の仕方とは、別の対応を迫られることになるからです。
つまり、そもそも今の経済のシステムが行き着くところまで行って仕舞えば…。
1.持つ物は一握りの富裕層だけになる。
2.環境が悪化する。
3.持たない貧困層は、富裕層から奪おうとする。
もうそこまで経済システムの上位にいる人間は考えている。
準備もしている。
だけど、それってゾンビ映画のような世界観だよね。ダグラス・ラシュコフは言うのですけど、そういう彼らの「当たり前」って、どうしてそんなことになっちゃったの?ネット文化の最初期の頃って、もっと自由だったじゃない。『デジタル生存競争』はそういう疑問から語られ始めるのですね。
そして、そういう「当たり前」の価値観(当たり前だからこそ、自分がそれを採用したことさえ忘れているし、感じることもない)を「マインド・セット」と彼は呼びます。
「マインド・セット」ああ、またこれかと思いながら正月早々仕事に引き戻されたのですけどね。
結局のところ「マインド・セット」に問題がある方が精神に問題を引き起こすことになる訳ですし、それはまぁ生得的なものもあれば、育てられ方にも原因があるでしょうけど、カウンセリングを続けた結果、世界をどう見ているか、世界をどう感じているかを、少なくとも今よりも生きやすい方向に変化させることが、カウンセリングというものだからですね。
だけどまぁ、この5人の富裕層の方たちがゾンビ映画のような世界を怖れている気持ちを「マインド・セット」を変化させることで解放することは無理でしょうね。
どうも、経済的に優位に立つとか、ある種の権力を得るという行為そのものが、他者への共感を阻害することになるという調査結果があると、本の中にも出てきますし、5人の富裕層は解放されたいなんて思っていないでしょうから。