現代では、熊野古道と呼ばれている険しい山道を歩く。
那智、速玉、本宮を巡って玉置神社へ。
健康な方でもかなり苦しい行程だと思うのですけど(私は玉置神社だけでぐったりしたくらいですから)狐憑き=精神的な疾患を持っている方が歩き通すのは、さらに大変だったと思うのです。
旅がすべての病気を癒してくれるとは思いませんけど、ある種の疾患には効果があったのかもしれません。
玉置神社の三柱神社で手を合わせていて、そんなことを考えていたのですけど…山岳修験の方たちではなく、一般の方が霊場に旅をする目的というのは、何かしらのご利益を期待してのことだと思うのです。
それもすぐに結果が出てくれるものが望ましいでしょうね。
いわばインスタントな救いのようなものが与えられることを期待しているのですから。
東京の渋谷が今のような繁華街になったきっかけの一つが、富士山巡礼の出発地点になったことがあると聞いたことがあるのですけど、当時は今でいう旅行代理店のような店がたくさんあったそうなのですね。
富士山に登山をする方もいたでしょうけど、多くの人たちが目指したのは今の富士吉田市にある人穴(ひとあな)でした。
洞窟なのですけど、そこに入って、暗闇の中で一定の時間を過ごし…また現実の世界へ戻ってくる。
いわば生まれ変わることで、今までの人生をリセットする効果を期待して、その旅は行われていたそうなのです。
母親の子宮に戻る。
そこでもう一度生まれてくる。
神社の構造というのは、参道(これを母親の産道と見立てているとする説もあります)を通って、深いところへ入っていく。
拝殿の奥には不可視の御神体があって、そこには闇が広がっている。
薄暗くて、湿っていて、懐かしい。そこに見ているのは生まれる前の世界かもしれない。
そう考えると、熊野詣というのは、自分の生まれる前に帰還するための旅だったのかもしれません。
長くて苦しい旅だったと思います。
肉体的にも精神的にも疲れ切ったでしょう。
その先にあるのが玉置神社の闇であり、その闇の奥にはすべての始まりになった母親の子宮の、さらに前がある。
知ってか知らずか、それは分かりませんけど、こういう構造の中を巡礼することによって、寛解状態に至ることは、きっとあったと思うのです。