『ハロウィンの歴史⑤』

無秩序が支配する日。そこで主役になってイタズラをするのは子供たち。なぜなら子供たちというのは、まだ「意識」による秩序立てが弱くて、大人が忘れてしまった「無意識」の領域とつながっているから。

そういうことだと思うのですけど、もう一つ興味深い報告があるのです。

民俗学者の小西正捷がインドのホーリー祭(インド版のハロウィンですね)についてまとめている内容なのですけど、色付きの水をかけ合うという無礼講祭りのホーリーには、以下のような特徴があるそうです。

◯祝火(ホーリー・ジャラーナー)およびそれをめぐるさまざまな儀礼や習俗
◯色の粉や色水、もしくは泥や泥水をかけあうこと
◯性的標徴の開示およびそれに伴う放埒、ないしは無礼講
◯模擬戦もしくはそれに類する儀礼
◯なんらかのかたちで「ぶらんこ」とかかわる儀礼
◯「ホーリー王」の演出・行進

私が面白いと思ったのは「ぶらんこ」とかかわる儀礼の部分なのですけどね。善悪両方の精霊が飛び出てくるハロウィンと同じく「ぶらんこ」というのも、いわば「無意識」の特徴を示しているように感じたのですね。

地面に足がついていない。宙吊りにされている。そういう状況に置かれるのが「ぶらんこ」ですから。地面にはいないけれど、かといって空高く舞い上がるわけでもない。いわば両儀的な宙吊りにされた場所で儀礼が行われる。

場合によっては、かなり厄介な「無意識」からの闖入ですけど(何しろ二律背反のような、無秩序なリビドーが、現実を認識している「意識」に浮かび上がってくるのですから)この特徴を古代から人間は知っていたのでしょうね。決して飼い慣らすことはできないけれど、ある程度制御することで生そのものを活性化することができる。まさにレヴィ=ストロースの言う「野生の思考」だと思うのです。

渋谷のハロウィンは、行政の介入によってアメリカのように秩序だっていくのかもしれません。まぁ、そうなってもらわないと、周辺で生活されている方だって困りますから。だけど、それで終わることはないでしょうね。

人間の心が表象されたのが祭りなのですから、あまりにも秩序立てられた社会を揺さぶるために、きっとまたどこかでハロウィン的なものは戻ってくるでしょう。