まぁでも、もし親族であるとか、何かしら関係のある子供が回想したのであれば、きみちゃんという名前を知っているでしょうし、赤い靴はいた女の子とは呼ばないでしょう。回想している子供からしたら、知っているのは赤い靴をはいていることだけ。そういう風に受け取るのが自然なように思います。
だとしたら、きっと彼(なんとなく、男の子が回想しているように感じるのですよね)は横浜から外国人に手を引かれて船に乗り込むきみちゃんか、デッキから横浜の埠頭を見ているきみちゃんを目撃したのでしょう。そして、そのことを思い出して歌っている。だから、彼にも事情は分からない。だけど、きっときみちゃんは楽しそうには見えなかったのでしょうね。寂しそうで、なんとなく旅立つことに戸惑っているように見えたのだと思います。現実には、もちろんそういうことは起こらなかったし、きみちゃんは横浜の埠頭に立つこともなかったのですけどね。
『赤い靴』を作詞したのは野口雨情なのですけど、彼の代表作には『赤い靴』とは反対に異国から来た人形が、日本で心細い気持ちになっている心情を歌ったものがあります。『青い眼の人形』というタイトルです。
「青い眼をした お人形は アメリカ生まれの セルロイド
日本の港へ ついたとき 一杯涙を うかべてた
わたしは言葉がわからない 迷子になったらなんとしょう
やさしい日本の嬢ちゃんよ 仲よく遊んでやっとくれ 仲よく遊んでやっとくれ」
アメリカから親善の証として昭和初期に贈られた青い眼の人形は、太平洋戦争がはじまると、壊されたり焼かれたりされたそうなのですね。『赤い靴』も『青い眼の人形』も戦時中は歌うことを禁じられていたそうです。
野口雨情には、他にも代表的な楽曲として『シャボン玉』がありますけど、この歌は生後7日で亡くなってしまった雨情の長女への鎮魂歌であるという説もあるそうです。現実に雨情は長女以外にも、もう一人娘を早くに亡くしています。
「証城寺の狸囃子」のように元気でリズミカルなものであったとしても、雨情の歌詞からは、どこかしら物悲しさのようなものを感じてしまうのですけど、それは彼のプライベートな事情と関係があるのかもしれない。そう思うのですね。