昭和39年に偶然発見された金春禅竹の『明宿集』は、いわば「翁」という演目の本質的な意味についての考察なのですけど、金春流の中興の祖と言われた彼が生まれたのは1405年です。
翁にまれびとを感じ取った折口信夫が亡くなったのは昭和28年ですから、残念ながら『明宿集』を読むことはできなかったのですね。もしもう少し早く見つかっていたら、きっと折口信夫は喜んだと思います。彼の思想と金春禅竹の考え方というのは、ほとんど同じもののように感じるからです。
中沢新一の『精霊の王』に付録としてついている、現代語訳の『明宿集』を読んでいて、何だか夢見心地というか、それこそ何かが「やってくる」ような心境になっていたのですけど…時々思うのですけど、文書というのは凄いですよね。600年前に存在した人物が考えていたことに触れることができているのですから。プラトンなんて、2500年前です。
それはともかく、金春禅竹は翁について、宿神と同一だと考えているのですね。
中沢新一は宿神、あるいはシャグジやミシャグジと呼ばれている古い神について『精霊の王』の中で、日本のいたるところに残っている痕跡を分析していくのですけど、彼はそれを縄文時代か、もっと古い時代に遡るような神だと結論づけます。
宿神というのは、主に関西で芸能の神さまとして信仰対象になっていたそうですけど、奈良県立美術館館長の籔内佐斗司氏が奈良県のホームページに興味深いことを書かれています。
「私が上京したばかりの頃、友人たちと練馬区の石神井公園というところに遊びに行きました。最初、石神井(しゃくじい)という読み方が分からなくて切符を買うときに困った記憶があります。その後、民俗学者の柳田國男先生の『石神問答』を読んでいて、「石神井」が「宿神(しゅくじん)」が転訛したものだと知り驚きました。宿神は、宗教だけでなく、秦河勝に由来する芸能民や職能民と密接に繋がる日本の民衆史へと拡がっていて、この小さな島国の信仰の歴史と文化の深さに驚きました。また「摩多羅神(またらじん)」や「後戸(うしろど)の神」、そして「翁」とも称された宿神の信仰は、外来文化を地層のようにどんどん堆積させて、時に応じて活用してきた2000年来のわが国らしい文化現象だと思います。」
何かが『やってくる』場所について考えていたら、とんでもないところまで来てしまったようですね。