シャルル・ペパンは『幸せな自信の育て方』で、なぜ「自信」を育てる必要があるのかについてこう書いています。
「なぜ自信が必要なのか。それは、私たちが生きている現代という時代と大きな関わりがある。伝統的な社会では、誰もが自分の居場所を持っていた。生まれた時点で、人生の道筋は決まっていた。努力して自分の生きる道を模索する必要がなかったこうした時代には、人々は特に自信を求められなかった。一方の現代では、私たちは何でも自由に選択できる。その代わりに、自分の運命に責任を持たねばならなくなった」
ヨーロッパにおいては教会の権威が失われた(ニーチェの言う「神の死」ですね)近代以降、人間は他者からの承認を得る(いいね!してもらう)ことで自分を支えなければいけなくなった。そのことは多くの方が指摘していますけど、シャルル・ペパンは、それならば自分に「自信」を持とうと勧めている訳です。
彼は結論から先に書きます。「自信」につながる原動力は「他者への信頼」「自分の能力への自信」「人生全体への肯定感」の3つだと彼は言うのです。
私が感動したのは3つ目なのです。『カラマーゾフの兄弟』を読んでからというもの、あるセリフが忘れられなかったのです。村上春樹も『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』に私と同じ疑問を書いていますけどね。
「ねえコーリャ、君は将来とても不幸な人間になるよ。しかし全体としては人生を祝福しなさい」
不幸な人間になるけれど、全体としては人生を祝福する?
シャルル・ペパンであれば、それは可能だと言うでしょう。それでも幸福になる努力をすることができると。
バカロレアの対策本には、デカルト的な「自己」とヘーゲル的な「自己」の考え方があると提示するだけに留めて、自分の立場を明確にはしなかったシャルル・ペパンですけど『幸せな自信の育て方』においては「人は、他者を通じてのみ自分を意識している」と書いています。
彼は意見が分かれると思うけれどと前置きはしていますけど、フロイトも哲学者の一人として扱っていますからね。他者が存在しないのであれば、抑圧は起こらない。そのことを前提とした上で、同じ他者が「自信」を与えてくれる。つまり、シャルル・ペパンは、さっさと本を置いて他者と関わることが自信につながると伝えているのです。