マリノフスキは、現地で暮らしていくうちに抽象的な社会構造という骨格に、
住民たちの生活の恥肉を与えることができるようになると書いているのですけど、
この血肉というのは…資料を調べたり算定したりするのでは記録できないもの。
彼の言い方では「生のインポンデラビーリア」と呼ばれるものだそうです。
考えられないものという意味ですね。
「平日のありふれた出来事、身じたく、料理や食事の方法、
村の焚火の回りでの社交生活や会話の調子、人々のあいだの強い敵意や友情、
共感や嫌悪、個人的な虚栄と野心とが個人の行動にどのように現れ、
彼の周囲の人々にどのような気持ちの反応を与えるかという、微妙な、しかし、
とりちがえのない現象…などのこまごましたことが、これに属する。」
参与観察という方法で、現地で共に暮らす中でしか見えないもの、
感じ取れないもの、それが「生のインポンデラビーリア」なのでしょうけど、
それが大切だと彼は言っているのです。
この本に私が惹かれた理由の一つは、カウンセリングについて私が学んできたことと重なる部分が大きいからかもしれないですね。
彼はこう言っています。「他人の根本的なものの見方を、尊敬と真の理解を示しながらわれわれのものとし、未開人にたいしてもそのような態度を失わなければ、きっとわれわれ自身のものの見方は広くなる。」
臨床の現場で、私たちが心がけなければいけないことを、ズバリ言ってくれているように思うのですね。尊敬と真の理解を示すことで、観察している者も成長できる。人類学の大きな流れを作ったマリノフスキ。日記の中で、現地の人に文句をたくさん言っていますけど、本当に真面目に人間という存在を知りたかったのだと思うのですね。
そうそう、人類学って、人間って何だろうと考える学問なのだと思うのです。