ラザロは亡くなってしまうのですけど、彼のようにいわゆる「聖なる愚者」の系譜に位置付けられるようなキャラクターで、見事に生き残った者がいます。
『幸福なラザロ』を見ていて、まるで『フォレスト・ガンプ』のようだと思っていたのですけど…ガンプには与えられた息子を育てるという使命がありますからね。死んでいる場合ではないのです。
ドストエフスキーの小説に、頻繁に登場する佯狂者(ようきょうしゃ)という存在がいます。ロシア語でユロージヴィと呼ばれているそうですけど、
Wikipediaによると「俗世に心を煩わされずに専ら神に仕え、祈祷と斎のうちに功を積んだ正教会の聖人は勤行者と呼ばれるが、そうした人々のうち、世を離れず、昼は市井にあってボロをまとって徘徊し、寒さ・暑さ・飢え・辱めを忍び、夜は聖堂の軒下などに野宿して祈る聖人がこの称号で呼ばれる。
「佯」とは見せかけの意であり馬鹿を装いハリストス(キリスト)の真理を明らかにする者であるとされる」そうです。ラザロも、ガンプも、この系譜の人物だと思うのです。
ガンプは生き残ることができたけれど、ラザロは死んでしまいますけどね。
ガンプは、ベトナム戦争で両足を失ってしまったダン中尉を救います。自分の上司なのですけど、野戦病院で「僕の好きな友達が隣のベッドにいた」と彼は言うのです。
復活したラザロは、自分を友達と呼んでくれた公爵夫人の息子を探し、彼を助けるために亡くなります。
友達。
『幸福なラザロ』は友達をめぐる寓話でもあるのです。