『台風の午後に③』

結局のところ、ラザロは人を疑わないのですから、狂言誘拐を手伝ってと言われれば、素直に手伝ってしまう。盗みに入っている泥棒から、引越し業者だと言われたら、じゃあここにカトラリーがありますよと扉を開けてしまう。詐欺の片棒を担がされたりした挙句、自分のことを兄弟と呼んでくれた男が破産したのは銀行のせいだと聞いて、銀行にお金を返してほしいと直談判に行くのです。

ズボンのポケットに入っていたのは木製のパチンコなのですけど、それを銃だと間違われて、強盗だと決めつけられ、最後は客に殴られて亡くなってしまいます。

にも関わらず、タイトルは『幸福なラザロ』(原題は『Lazzaro felice』です)なのです。

どうしてラザロは幸福なのか?

クロード・レヴィ=ストロースの著書や、マルセル・モースの『贈与論』など社会学者の本を読んで…社会の基本ルールというのは「贈与」と「交換」で成り立っていることを知りました。大学生の時ですけどね。

「贈与」つまり贈り物をすることですけど、見返りを求めない行為です。こちらは人間同士の関係を繋ぎます。原始社会はこちらを主として成り立っていたと社会学者は考える訳です。

それに対して「交換」というのは資本主義を成り立たせているルールですね。何かと何かを「交換」する。お金とバゲットを「交換」するということです。こちらは人間同士の関係を切断してしまいます。「交換」が済めば、それで終わりになるからですね。

ラザロが人の言葉を疑わないのは、人の言葉を「贈与」として受け取っているからでしょう。もらったのだから、何かお返しをしないといけないなぁ。それくらいに彼は考える。

だから彼の行動は常に「贈与」しかないのでしょう。求められれば与える。それだけしか彼はしないのです。