地下2階に降りていって書かれた村上春樹作品を、文芸評論家の渡部直己は「文学療法」と呼びました。だから、「箱庭療法」の河合隼雄と話が合うとも。
この指摘は、的を射ているでしょうね。
臨床の現場でも、これと同じことが起こることを私は知っていますから。
カウンセラーの助言に従って、クライアントは自分の無意識の地下2階に降りて行こうとする。だけど、ぐちゃぐちゃした地下1階を通り過ぎないと、地下2階へは行けません。川上未映子は、地下1階を「くよくよ室」と呼んでいますけど、そこはありとあらゆる記憶が混然となった空間です。
何度も何度もクライアントは地下へ降りていく。地下1階の「くよくよ室」を整理して、地下2階への道筋を見つけなければいけない。だけど、なかなか地下2階へは辿り着けないのですね。
だけど、クライアントは地下に降りていくことで変化していく。そうやってイニシエーションとしての地下への降下を繰り返して準備を整えていくのです。なぜなら、地下2階の扉を開けることは危険を伴うかもしれないからです。
そして、いつか地下2階へ降りることができたクライアントは、そこから何かを持ち帰ります。現実世界に戻った時、現実と呼んでいる世界が変化したことに気づくでしょう。
自分を変える勇気や、強さを持ち得なかったら、きっとカウンセリングは、ただのお悩み相談になってしまいますし、自己分析は終わらない。だけど、自分が変わることで現実世界の変容を経験したら、クライアントがこれから生きるのは、新しい世界になるのです。
『墓泥棒と失われた女神』は「箱庭映画」。う~ん。あながち的外れな話ではないかも…?